昔、インドに、
「早離(そうり)」と「即離(そくり)」の、幼い兄弟がいました。
二人は、早くに両親と死別したので、毎日泣いていました。
すると、ある心の良くない男が、父母に合わせてやるからと言って、
この小船に乗れと誘ったのです。
二人はだまされたとは知らずに、その男の言葉に従ったのです。
小船は沖合い遥かに浮かぶ名もない小島に着きました。
そして、二人を下ろすと、その男は船を漕いで帰っていきました。
二人りの子供は、狭い島の中を、駆け巡って親を探すのですが、
いるわけがありません。
ついに飢えと疲れでその島で果てるのです。
死ぬ間際、
弟の即離(そくり)は、自分たち兄弟の薄命を嘆くのです。
自分たちが何をしたというんです。
自分たちは、このような辛いめにあうような悪いことは何もしていません。
黙って聞いていた兄の早離(そうりが弟をなだめて言うのです。
「私もはじめは世を呪い、人を怨んだが、この小島ではどうにもならない」。
ただ身をもって学んだことは、
親に早く別れ、人にだまされることの悲しさと、飢えと疲れの苦しさですね。
しかし、次に、この世に生まれてくるときは、
この苦悩の体験を「縁」として、同じ「悲運」に泣く人たちを救ってゆこうよ。
「他の人を慰めることが、
自分が慰められるということを!私たちは学んだではないか」と、
弟は、はじめて、 兄の言葉を理解すると、
はればれとした顔になり、互いに抱き合って息が耐えました。
二人の顔には、しずかな明るい微笑が浮かんでいました。
兄が観世音菩薩(かんのんぼさつ)、弟が勢至菩薩(せいしぼさつ)といいます。
これは、セイロンからビルマ、タイへ伝わったバーリー語の仏教聖典「南伝大蔵経」の中の
「華厳経」に書かれているありがたい説話です。
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